順次、各石垣の刻紋を掲載していきます。
石への刻紋は、大名やその家臣が刻銘したといわれます。
石垣の数は相当数にのぼるため、できる限り掲載したいと思いますので些か時間がかかりそうですが、気長にお待ち頂けたら幸いです。
ところで、この刻紋はどうして彫るようになったんでしょう。その分手間がかかりますよね。でも、作業の途中でこの石は誰が掘ったのか、あるいは今掘り出し中だという区別が必要になったんです。大名や家来はその作業を継続して進みやすくするために目印をつけさせました。それが刻紋です。
ねっ!ちゃんと意味があるんですよ。
石垣の積み方も時代と共に進化していきます。詳細を記しましたのでご覧下さい。
野面積み(のづらづみ)は、大きな石を積んでいって、そのすき間に小さな石を入れていく積み方です。羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)の時代に行なわれた工法です。
打ち込みはぎは、江戸時代に行なわれた工法で、大きな石を積み、すき間がなくなるように打ち込むやり方です。
切り込みはぎは江戸時代以降に行なわれた工法で、石を鏨(たがね)で削って四角形に形を整えた石を、すき間なくきちんと積み重ねたものです。打ち込みはぎよりも、さらに勾配の急な高い石垣が築けます。時代的には築城技術として最新の工法です。
まず、正門の石垣を見てみました。ありますね。
天守閣の石垣を造営したのが、加藤清正です。その証として刻紋がこれです。大天守の北側、不明門を北に出た直ぐ左手に見えます。解説が看板に書かれていますのでお読み下さい。「加藤肥後守内 小代下総」
ここでは築城に参加した大名と藩・石高などを記した。
藩 | 大名 | 石高 |
---|---|---|
筑前福岡 | 黒田長政 | 52.5万石 |
豊前 | 細川忠興 | 39.9万石 |
筑後 | 田中忠政 | 32.5万石 |
豊後佐伯 | 毛利高政 | 2.0万石 |
豊後高田 | 竹中重利 | 2.0万石 |
豊後臼杵 | 稲葉典通 | 5.0万石 |
豊後日出 | 木下延俊 | 3.0万石 |
肥前 | 鍋島勝茂 | 35.7万石 |
肥前 | 寺沢広高 | 12.0万石 |
肥後熊本 | 加藤清正 | 52.0万石 |
伊予 | 加藤嘉明 | 20.0万石 |
阿波 | 蜂須賀至鎮 | 18.6万石 |
土佐高知 | 山内忠義 | 20.3万石 |
讃岐 | 生駒正敏 | 17.0万石 |
長門・周防 | 毛利秀就 | 36.9万石 |
加賀 | 前田利常 | 119.2万石 |
飛騨高山 | 金森可重 | 3.8万石 |
播磨姫路 | 池田輝政 | 52.0万石 |
安芸 | 福島政則 | 49.8万石 |
紀伊 | 浅野幸長 | 37.6万石 |