名古屋城・南西隅櫓と天守閣
名古屋城・南西隅櫓と天守閣

名古屋城建設の歴史:歴史・大名・金鯱

1609年、関ヶ原の合戦後江戸幕府ができて程なくしてから徳川家康によって名古屋遷府令が発せられました。その翌1610年には名古屋城の普請が始まり、同時に清洲からも藩士・寺社・町人などの名古屋移住(いわゆる清洲越し)が始まります。1612年に名古屋城の天守閣が完成し、1613年に清洲越しは概ね完了しています。また、1614年・名古屋城本丸御殿完成の後の1615年になって徳川義直が、清洲城から名古屋城に移り、その後、明治維新を迎えるまで江戸幕府の徳川御三家の筆頭尾張家として栄えました。
第二次世界大戦中の昭和20年5月の名古屋大空襲の際に本丸御殿など殆ど焼失しましたが、わずかに東南・西北・西南隅櫓と三門(表二之門、旧二之丸東二之門、二之丸大手二之門)と本丸御殿障壁の大部分が戦火を免れ、重要文化財として今日に伝えられています。

名古屋城建設に携わった大名

徳川家康が敵方であった豊臣方であった20大名に命じて名古屋城を築城させました。旧敵を監視し、徳川家への忠誠心を競わせることに築城を利用したものです。

前田利光(加賀・能登)黒田長政(筑前)細川忠興(豊前)山内忠義(土佐)
蜂須賀至鎮(阿波)鍋島勝茂(肥前)寺沢広高(肥前)田中忠政(筑後)
加藤清正(肥後)毛利高政(豊後佐伯)竹中重利(豊後高田)稲葉典道(豊後臼杵)
金森可重(飛騨)木下延俊(豊後日出)生駒正俊(讃岐)毛利秀就(長門・周防)
加藤嘉明(伊豫)池田輝政(播磨)浅野幸長(紀伊)福島正則(安芸・備後)

名古屋城と金鯱

名古屋城天守閣
名古屋城で最も名高いのは金鯱ですね。親しみを込めて、しょちほこ、シャチホコなどといったり、書いたりします。城の大棟に火除けの呪いとして鯱を飾るようになったといわれますが、いつの頃からか権威の象徴として城主が意識するようになって、名古屋城では金鯱になっちゃったようです。
残念ながら、第二次世界大戦の折、名古屋大空襲で天守閣や本丸御殿と共に焼失してしましました。その後、昭和34年10月に再び名古屋市によって今日の名古屋城が再建されて今日に至っています。

◆名古屋城の金鯱
区分雄(北側)雌(南側)
高さ2.621m2.579m
重量1,272kg1,215kg
金板の種類18K18K
金板の厚み0.15mm0.15mm
鱗の枚数112枚126枚
金の量44.69kg43.39kg

名古屋城の金鯱

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